私がブログを書く理由(のひとつ)

漫画が描けなくなり、文章が書けなくなった。

メールが打てなくなって質問の返事ができなくなった。
もろもろの幹事と結婚式のスピーチを断って、正気なふりをするのも難しくて一部の人には説明した。
あまり理解はされなかった。

ストレスが致死量だった時期に私の脳は感情回路を切って感じなくなることで生き延びた。
切ったものはそうそう治らず長年不具合を感じている。
一般的には鬱の類なのかもしれない。

普段はそこそこ動作するもんだから分かりにくいけど、ふと小さな段差で動けなくなるルンバみたいに、自分でも気づかないほどの迷いや不安やストレスで脳の情報処理が止まる。だからインプットも難しかった。

現実逃避したいんじゃないのか、と思いながら何故かコミックエッセイが読みやすく、矛盾してるようでゲームは別世界だから比較的大丈夫だった。

ゲームのプレイメモも自分の人生の葛藤が入らないから書けた。

微かでも読みたいものを必死で読み、かきたいものを必死でかいた。
無理矢理やってるなと思うことはやめた。

これだけかけていなかったらいい加減「そもそもかきたくないんじゃないのか」と思うところなのではと考えたけど全然、よく言われるようにアウトプットはつくづくうんこをするように自然な欲求だし、中でも漫画は私の知り得る最高の発信ツールだった。

ペンを握っては動悸冷や汗のでるような日々を過ごしていても漫画が描きたいし描けるはずという確信は私を支えた。

こちとらその前に四半世紀の漫画好き人生を送っている。
「好き」って強いな、生きる力だなと思った。

せめて「書きたい」「描きたい」と言いたかった。
言葉にすることは確信やモチベーションを上げる。
でも「黙ってかけばいいじゃないか」となり短期間のうちに「かかないじゃないか」とされる流れに口を噤むようになった。

聞きたくない人に聞かせずに済んで、ジャッジされずに済むアウトプットする場が欲しかった。
発信したい時にして受信したい人が受信したい時に読めるってすばらしいな、と思ってブログを作った。

(他にもなんか色々「またブログか」っていうくらい自分に必要なツールとしてブログを意識することが重なったので)

こちらもただただ書きたいだけでかつて苦もなく10年間web日記を書いてた事実が「書きたいはず、書けるはず」という自信になっている。
やってきたことが自信になるって本当だな。

そんでいま七転八倒しながら記事を書いている。
「私は何を言いたいのか」
「これ読みたい人浮かばないけど書くのか」
「どうしてこの話は書けないのか」とか
自分の考えとスタンス、誰に向かって話しているのか、絡まりきった糸を一つ一つほぐすようにして書いている。

呟くようにハードル低く文章を書けて、漫画を描けて、10年フン詰まった思考をどんどんアウトプットできて、発信ができて受信してくれる人達と出会えたらいいな、毎日ブログごと消しかねない危うさだけど、と思いながら
続けたい。